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直江津さんぽ

直江津
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文学の中の直江津散歩 7 狂歌師 千代垣素直の碑 五智国分寺境内

江戸時代、今町(直江津)に天才的な狂歌師、千代垣素直(ちよがきすなお)が居たそうです。
江戸の狂歌師の篶垣真葛(すずがきまくず)に師事し将来を嘱望されましたが、20歳の若さでこの世を去ったそうです。
平成23年に五智国分寺境内にて素直の墓が発見され、平成25年に復元されました。
五智国分寺にて掲示されている内容を、ご紹介します。

人よりもまず驚きて 日盛りの暑さも弱る 秋の初風

千代垣素直(上越市出身)

千代垣素直の碑群(基碑を含む)について

千代垣素直は、本名竹田嘉市郎。父賞月楼見空の影響で狂歌を始め、その才を開花させました。江戸の狂歌の師匠である篶垣真葛が直江津今町を訪れたことを機に、本格的に修行することを決意し、江戸に向かいました。江戸に滞在すること4年、指導資格を有する「判者」になるのも間近の素直でしたが、天保6(1835)年春、病の床に伏す父の看病のために一時的に帰郷。その夏、わずか20歳で急死しました。
息子の名を永遠にとどめようとした父見空は五智国分寺に碑を建立。その才能を惜しむ人々は全国から追悼の狂歌を募り、「千代垣素直追福秋露集」をまとめ出版しました。
素直の碑は、江戸時代に出版された「東講商人鑑」や「越後土産」などの「五智国分寺境内図」に描かれ有名でしたが、明治19年、ランプ亡国論などを説いて全国を游説中に当地で客死した佐田介石の墓(墓碑銘は明治の三筆・高 橋泥舟の書)を建てるために、脇に追いやられてしまいました。
本来は、介石の墓石がある位置に師篶垣真葛筆の碑(復元された碑)があり、左側に素直自筆の碑(裏面に直江津竹田氏)、一段下がった右側に高田で狂歌の指導者であった暮秋庵万籟による追悼碑を配し、庭のように構成されていたと考えられます。
一般に世相批判や社会風刺の歌と誤解される狂歌ですが、素直の時代のものは形式にとらわれない自由な表現が許された短歌形式の文芸であり、商家の主人たちや近郷の庄屋などの教養の一つとして日本全国で盛んに制作されました。直江津今町をはじめとした上越地域は同好者の多い地域として有名でした。この碑を元に復すことを通じて直江津今町の町衆文化の爛熟のありさまを再確認できると思います。

平成25年7月13日 まちおこし直江津

復元について、五智国分寺様、高橋章則先生(東北大学大学院文学研究科)に多大なご協力をいただきました。

施工 野口石材/看板制作 水月 平成25年度 上越市地域活動支援採択事業

夏草で分かりにくいですが、矢印のが千代垣素直の碑です。
芭蕉の句碑の、もう1段上の右側です。

人よりもまず驚きて 日盛りの暑さも弱る 秋の初風

 

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