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直江津さんぽ

直江津
さんぽ
文学の中の直江津散歩 1 林芙美子『放浪記』の直江津

林芙美子 1903~1951 47歳没

短い生涯です。心臓病での突然死でした。

美人ですが、気が強そうです。

実際、文章を読んでも強い人です。

荒川橋たもとの石碑。「放浪記」からの抜粋が彫られています。

「私が青い時間表の地図からひらつた土地は、日本海に面した直江津という小さい小港だった。ああ海と港の旅情、こんな処へ行ってみたいと思う。これだけでも、傷ついた私を慰めてくれるに違いない。」

■要するに林芙美子は「鉄道地図と名前」で直江津を選んだのですが、来てみて現実とのズレに唖然とします。(本文を読んでみてください)。また、直江津のたいがいの人は、実は放浪記を読んでいません。ただ林芙美子が来て、イカヤに泊り、継続だんごを食べて元気が出た。という程度の認識です。私もそうでした(すみません)。では、論より証拠で、放浪記で直江津について書かれている箇所の全文を引用して見ましょう。


放浪記 林芙美子 (抜粋)

(九月×日)

 古い時間表をめくってみた。どっか遠い旅に出たいものだと思う。真実のない東京にみきりをつけて、山か海かの自然な息を吸いに出たいものなり。私が青い時間表の地図からひらつた土地は、日本海に面した直江津という小さい小港だった。ああ海と港の旅情、こんな処へ行ってみたいと思う。これだけでも、傷ついた私を慰めてくれるに違いない。だけど今どき慰めなんて言葉は必要じゃない。死んでは困る私、生きていても困る私、酌婦にでもなんでもなってお母さんが幸福になるような金がほしいのだ。なまじっかガンジョウな血の多い体が、色んな野心をおこします。ほんとに金がほしいのだ!?

(中略)

 夜。

 直江津の駅についた。土間の上に古びたまま建っているような港の駅なり。火のつきそめた駅の前の広場には、水色に塗った板造りの西洋建ての旅館がある。その旅館の横を切って、軒の出っぱった煤けた街が見えている。嵐もよいの湫々とした潮風が強く吹いていて、あんなにあこがれて来た私の港の夢はこっぱみじんに叩きこわされてしまった。こんなところも各自の生活で忙しそうだ。仕方がないので、私は駅の前の旅館へひきかえす。

 硝子戸に、いかやと書いてあった。

(九月×日)

 階下の廊下では、そうぞうしく小学生の修学旅行の群がさわいでいた。

 洗面所で顔を洗っていると、

「俺ア鰯をもういっぺん食べてえなア。」

 山国の小学生の男の子たちが魚の話を珍しげに話していた。私は二円の宿泊代を払って、外へ散歩に出てみた。雲がひくくかぶさっている。待ちゆく人は、家々の深いひさしの下を歩いている。芝居小屋の前をすぎると長い木橋があった。海だろうか、河なのだろうか、水の色がとても青すぎる。ぼんやり立って流れを見ていると、目の下に塵芥に混じって鳩の死んだのがまるで雲をちぎったように流れていっていた。旅空で鳩の流れて行くのを見ている私。ああ何もこの世の中からもとめるもののなくなってしまったいまの私は、別に私のために心を痛めてくれるひともないのだと思うと、私はフッと鳩のように死ぬる事を考えているのだ。何か非常に明るいものを感じる。木橋の上は荷車や人の跫音でやかましく鳴っている。静かに流れて行く鳩の死んだのを見ていると、幸福だとか、不幸だとか、もう、あんなになってしまえば、空の空だ。何もなくなってしまうのだと思った。だけど、鳥のように美しい姿だといいんだが。あさましい死体を晒す事を考えると侘しくなってくる。駅のそばで団子を買った。

「この団子の名前は何と言うんですか?」

「ヘエ継続だんごです。」

「継続だんご……団子が続いているからですか?」

 海辺の人が、何て厭な名前をつけるんでしょう、継続だんごだなんで……。駅の歪んだ待合室に腰をかけて、白い継続だんごを食べる。あんこなめていると、あんなにも死ぬる事に明るさを感じていた事が馬鹿らしくなってきた。どんな田舎だって人は生活ているんだ。生きて働かなければいけないと思う。田舎だって山奥だって私の生きてゆける生活はあるはずだ。私のガラスのような感傷は、もろくこわれやすい。田舎だの、山奥だの、そんなものはお伽噺の世界だろう。煤けた駅のベンチで考えた事は。やっぱり東京へかえる事であった。私が死んでしまえば、誰よりもお母さんが困るのだもの……。低迷していた雲が切れると灰をかぶるような激しい雨が降ってきた。汐くさい旅客と肩をあわせながら、こんなところまで来た私の昨日の感傷をケイベツしてやりたくなった。昨夜の旅館の男衆がこっちを見ている。

 銀杏返しに結っているから、酌婦かなんかとでも思っているのかも知れない。私も笑ってやる。

 長い夜汽車に乗った。(抜粋終わり)


いかがでしょうか。

「あんなにあこがれて来た私の港の夢はこっぱみじんに叩きこわされてしまった。」

「ぼんやり立って流れを見ていると、目の下に塵芥に混じって鳩の死んだのがまるで雲をちぎったように流れていっていた。」

「継続だんご……団子が続いているからですか?」

「海辺の人が、何て厭な名前をつけるんでしょう、継続だんごだなんで……。」

「白い継続だんごを食べる。あんこなめていると、あんなにも死ぬる事に明るさを感じていた事が馬鹿らしくなってきた。どんな田舎だって人は生活ているんだ。」

「煤けた駅のベンチで考えた事は。やっぱり東京へかえる事であった。」

「汐くさい旅客と肩をあわせながら、こんなところまで来た私の昨日の感傷をケイベツしてやりたくなった。」

 ものすごい勢いで直江津がディスられてます。しかも東京者の視線です。死んだ鳩だの、嫌な名前の団子だの、汐くさい旅客だの言い放題です。挙句の果ては「こんなところ」とまで言われています。

 そう、想像と違って、生活感丸出しの田舎かげんに「死ぬ気も失せた」と言っているわけです。むろん、団子のあんこをなめている自分も「ただの生きている人間」で、格好つけた自殺願望がアホくさくなったという

わけです。林芙美子が直江津で見たのは現実の暮らしでした。さらには「遅れた裏日本」の田舎でした。そういうことです。

「裏日本」という言葉の「裏」のよさは、本質的だからだと言いましたが、その意味でも「放浪記」は、「裏」の人間が持つ本質的な、ずぶとい生命力をあらわしています。林芙美子の言う「汐くさい人間」が直江津人です。


 

故・森光子さんが主演だった舞台「放浪記」の記念碑が、直江津駅前にあります。

放浪記の原作者・林芙美子さんが、当時駅前にあったいかや旅館(現ホテルセンチュリーイカヤ)に宿泊したエピソードがあり、2011年11月に設置されました。
碑は森光子さんの自筆で、林芙美子さんが好んだ句「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」の文章が刻まれています。

直江津地区連合青年会HPより

 

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